アンコール遺跡の再発見

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5、6世紀から徐々にその版図を広げていったクメール人(カンボジア人)は、9世紀、ヤショーバルマン一世によって4キロ四方の大環濠都城を建造したことでますますその勢力を確固たるものにしました。

王都は、その後「ヤショーバルマン王の都城」を意味する「ヤショーダラプラ」を呼ばれ、550年間にわたって都城と寺院が建設されていきました。これらが今日残る、アンコール遺跡群です。王都がアンコール・トム、そして12世紀に建てられた大寺院がアンコール・ワットです。

その後、アンコール王朝はジャヤバルマン七世のもとで最盛期を迎えましたが、15世紀になり、シャム(タイ)のアユタヤ朝によって攻略されました。アンコール王朝はそれから苦難の時代を迎え、都を点々とすることになったのです。

では? 9世紀「ヤショーバルマン王の都城」と呼ばれ、550年間もかけて建造されていったあのアンコール遺跡群はその後、どうなってしまったのでしょうか?

15世紀中期に、プノンバケンの小さな丘の4キロ四方の大環濠都城、アンコールを首都として栄えたアンコール王朝(クメール帝国)は、タイのアユタヤ朝との戦いに敗れたあと、急速に衰退し、アンコールも都市としての機能を失いました。そしてやがて原生林におおいかくされてしまったのです。

19世紀後半、フランスの博物学者アンリ・ムオーがジャングルのなかにこの遺跡を再発見しました。彼は政府の援助を受けることなく、個人的な経費でインドシナ全域の科学的調査を行ったのです。


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